NirvanaのCome As You Areはグランジ時代のだるい感じのアンニュイの気持ちを見事に表した曲です。矛盾している歌詞を連発してゆっくりしたテンポで言葉で遊ぶ歌です。
音楽の方はカートが他の曲からパクったんです。その話は最後にしますが、さっき歌詞の話をします。
カム・アズ・ユー・アー歌詞和訳
Come As You Are 意味と解釈
この曲の歌詞にははっきりした意味がなく、調べたところいろんな日本語訳と解釈があって「まあまあ、こういう解釈も出来るかもしれない」というような訳もあれば「いやいや、これはないでしょう」というような訳も一杯ありました。もともと訳そうとしている英語の方でも間違っているところもすくなくなかったです。
Come As You Are題名
まず題名のCome As You Areを見れば「そのままでおいで」「そのままで来てくれ」「ありがままに来て」というような意味になります。
前レットイットビーの和訳もしましたが、そのフレーズと少し共通しているところがあります。
直ぐに余談になりますが、カートのふるさとのAberdeenという町にはこんな標識があります。
Welcome to Aberdeen – Come As You Areと書いてあります。これはカートが死んで10年の記念として建てられたらしいですけど、「貴方のままでAberdeenにお入りください」という意味で建てられています。ちょっと素敵だと思います。
調べたところこの題名にはいろんな日本語訳がありました。中には
「君はそのままで良い」「自分らしく」とかがありました。でも、このような訳し方はやり過ぎです。Come As You Areを文字どうり訳せばそんなに優しい意味合いになりません。
Come as you are日常会話例
会話でCome as you areを使った例文をあげれば
What should I wear to the party today? Should I get dressed up?
今日のパーティに何を着て行けばいいかな?ちょっと洒落たほうがいいですか?
No, it’s fine. Just come as you are.
いや、もうそのままでいいよ。
という感じになります。
Come as you are歌詞分析
それでは歌詞を一行一行見ていきたいと思います。
Come as you are, as you were
As I want you to be
As a friend, as a friend
As a known enemy
そのままでおいで
前のままでおいで
おれが望むおまえとして
友として, 友として
既知の敵のように
もう、出だしからめちゃくちゃ言葉遊びしていますね。ハッキリした意味で歌詞を書いているのではなく、言葉の「音」、言葉の「自制」、「韻」、「語呂合わせ」のようなもので遊んでいます。矛盾している要素を前後にして命令を下しているような感じです。
「お前のままで来て」
の次の一行に
「おれが望むおまえとして来て」が来る。
「どっちやねん?!」みたいな感じになります。
その次に「友達としてきて」「既知の敵のように」が来ます。
社会において人間がいろんな矛盾になっていると言われるように、この歌の主人公はいろんな訳が分からない命令をうけてしまっています。
ちなみに、この歌の主人公はだれなのかハッキリしていません。誰が誰に対して歌っているか分かりません。歌っている人物がだれかに「来い」と言われているかもしれないし、歌っている人物がだれかに「来い」と言っているかもしれません。
カート本人が自分と対話している説も読みましたが、僕はそう思いません。もっと普遍的な「だれか」だと僕は思います。
いろんなところで韻を踏んでいます。たとえば
2行の
As I want you to beの「be」
と4行目の
As a known enemyの「my」
でも内側の韻もあります
as a friend の「en」
と次の一行の
Enemyの「en」も歌い方、重みの置き方によって韻を踏ませています。
最初のCome as you areとas you wereの歌い方によって韻を踏ませています。
「As a friend」を繰り返して言っているのはなぜでしょう。制作した時他の歌詞が思いつかなくてそのまま2回使ったのでしょうか。
Take your time, hurry up
The choice is yours, don’t be late
Take a rest as a friend, as an old memoria
ゆっくりでいい、急げ
選ぶのはおまえだ、でも遅れるな
友として休んでくれたらいい、古い記憶として
ここでまた対照的な、矛盾した歌詞を使っています。カートいろんな「こうしろう」「あいしろう」と言われてプレシャーを感じて作った歌詞かもしれません。人生はいろんな「自由に選べる」選択肢があるけど、社会は結局いろいろ期待とかあります。
ここに出てくる「memoria」「memoria」という英語は存在しないです。どっちかというと「Memory yeah」と言っているようにしか聞こえないですね。一応英語の元になる「Memoria」というラテン語があるけど、カートがそんなラテン語を意識して作ったとは思えないです。
そもそもなぜここにMemoryという言葉が出てくるのでしょうか。多分前の一説の終わりの一行と韻を踏みながら適当に合わせています。
As a known enemy
As an old memory-yeah
Come doused in mud, soaked in bleach
As I want you to be
As a trend, as a friend
As an old memoria
泥にまみれて、漂白剤に浸かっておいで
俺の望むお前のままで
流行りとして、友人として
古い記憶として
このdoused in mud、 soaked in bleachというのは当時シアトルの政府の宣伝キャンペーンから来ているそうです。
「If doused in mud, soak in bleach.”」
「泥で汚れている針を漂白剤に浸してきれいにしましょう」
という意味でした。
この「泥で汚れている」と「漂白剤に浸してきれいに」はいろんな対照的な反対の言葉を使った曲にぴったりですね。これで社会からのメッセージを意識してこの曲が作られているのがよく分かります。
これで歌詞が大体終わるけど最後にブリッジの歌詞があります。
And I swear that I don’t have a gun
No I don’t have a gun
No I don’t have a gun
誓っていう、おれは銃なんか持ってない。
違う、銃なんか持っていない。
このブリッジは他の歌詞とあまり関係ないけどこの2行があることによってこの曲の歌詞は全体的によりくらい感じになります。
カートと銃
ちなみにカートの人生の中に銃に深く結びついているエピソードが一つあります。
カートが15歳ぐらいのときにカートのお母さんがカートの継父を家から追い出した時にお母さんがその継父の銃を全部川に放り込んだらしいです。それで、カートが後でその銃を川から出して、売って、その売ったお金で初めてギターを買ったそうです。
そういう背景もあって作られた曲ですね。
Come as you are音楽の由来
これで歌詞の解説終わりますけど、音楽の話をちょっとだけさせてもらいますとCome As You Areのリッフの原型となった曲があります:
Killing Joke – The Eighties 1985
これを聞くと非常に似ているのが分かります。あまりにも似ているからカートがこの曲をシングルとして出すのに抵抗があったそうです。
でももっと遡るとThe Eightiesの原型になる曲が2つあります:
Garden Of Delight – 22 Faces (1984)
The Damned – Life Goes On 1982
もっともっと遡ると60年代でもすこし音楽が似ている曲があります。
The Equals – Baby Come Back (1966)
まあ、作者は皆昔からパクリ合っているということですね。